執筆者:Glaudchan
『総合和声』(島岡譲 執筆責任、音楽之友社 1998)
藝大和声三巻本、『音楽の理論と実習』全3巻編纂の中心にあった島岡譲による音楽理論体系の総結集。
いわゆる藝大「三巻本」は第二次世界大戦後の荒廃した日本を背景に、改めて西洋音楽の根本から学ぼうという、その世代の気概、奮闘から生まれたと言ってよい。彼らは和音をドイツ流の機能和声と、フランス流数字付き低音による和音構成音表示を合わせ持つ記号の表現を創案。それを元に、西洋音楽の特に和声学をいちから学ぶための日本独自の学習法を確立する。これは戦後、Far Eastのこの国において、西洋音楽の仕組みを学ぶ上で永らく音楽理論、作曲での学習・教育の柱であった。
さらに島岡は20世紀の終わりにかけて、それまで築いた理論体系をより根源まで掘り下げようと、なお探究を続けた。新たに「ゆれ」という概念を導入し、音楽理論のよりいっそうの統一的体系化に取り組む。すなわち、短調を長調の「ゆらぎ」「蔭り」ととらえ、また非和声音、拡大して、フレーズ、楽節、楽曲全体を和音の「ゆれ」とする原理を元に音楽の分析を深化させた。それが結実したのが『総合和声』である。
他方音楽教育の場では、「三巻本」に対して、特に直接作曲にたずさわらない者への教育課程での批判があったのも確かだ。例えば、独特の和音記号では鍵盤楽器奏者が数字付き低音に即興演奏として応じる力がつかない、また整理分類された和声進行の解説は、かえって和声課題を実施する場で音楽の響きから離れてパターン化されたパズル解きのようになってしまいがち、等々。ひいては「和声学」と耳にすると、課題実施を前にして、いわゆる禁則の縛りに悩まされた記憶しかない、といった苦い体験を持つ人達を少なからず生んだのも確かだろう。
島岡自身、和声課題を音としてではなく紙の上でパズルの解くような流れになってしまったことを教育上の失敗、と口にされたのを筆者は直接耳にしたことがある。そのような背景もあったであろう、2015年からは東京藝術大学とその附属高校は『新しい和声学』(林達也他著、アルテスパブリッシング 2015)を教科書として採用し、この独自の記号体系を「過去のモノ」扱いにしている。
しかしながら今もって、島岡らの特に音楽の原理についての考え方、ドミナント進行、サブドミナント進行の基礎付け、ゆれの概念などは西洋近代音楽の仕組みを自分の頭で考えるには、絶好のツールである。特に同書の分析編、原理編は、作曲に直接たずさわることがない人達にとっても、また和声課題で悩まされた経験者達にとっても、改めて自分の耳を啓くきっかけになることは間違いがない。
なお、島岡は『島岡譲 和声課題作品集』( 音楽之友社 2022年)執筆を最後に、2021年秋に帰天された。ここにあらためて感謝と弔意を表す。
参考:Wikipedia 島岡譲
https://ja.wikipedia.org/wiki/島岡譲